室町時代の和人とアイヌの関わりは?交易はあったのか?

日本列島が大陸と海を隔てた島国となったのは、地球が氷河期から間氷期となった古代の縄文時代といわれています。

島国となった日本列島では、古代の縄文時代から現在も、不足する食糧や物資を他の地域から調達し、保有する物資の余剰分などを渡す交易が行われています。

日本の歴史のなかで、徳川幕府による鎖国政策がとられた際にも、出島などで限定しながらも、海外との関わりが完全に断たれてはいません。

ここでは、倭寇と呼ばれた海賊集団の影響がありながらも、中国の明王朝との貿易が盛んに行われた室町時代の交易や北海道のアイヌとの関わりをご紹介します。

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室町時代に行われた交易とアイヌとの関わりは?

室町時代の北海道に住むアイヌ民族は、日本列島の本州に住む人々を「和人(倭人)」と呼び、アイヌ文化に必要な物資を「和人」から入手する交易をおこなっています。

石器や土器から鉄製のものを利用する文化の移り変わりによって、鉄製品をはじめ、漆器や陣羽織、ガラス玉や鏡などを、アイヌの人々は本州から調達しています。

一方、本州の人々は、アイヌの人々から、本州では高級品とされたクマや鹿などの動物の毛皮、鮭や昆布、木の皮で折られた布や服といったものを入手しています。

アイヌ文化の儀式や暮らしを支えた室町時代の交易は、アイヌと本州に暮らす人々の双方にメリットをもたらしますが、次第にアイヌ民族を苦しめる結果をもたらします。

その影響は、北海道全域が日本となる明治時代に大きく反映されますが、室町時代の交易に端を発しています。

室町時代の交易に「倭寇」はどう影響した?

鎌倉時代には国家間の交易ではなく、民間での対宋貿易が盛んに行われ、やり取りされる物品を狙って中国や朝鮮半島の沿岸を襲う海賊集団の「倭寇」が、活動を活発化させています。

室町時代になると、足利義満が中国の明王朝との勘合貿易をはじめ、その他の外国との交易も活発にさせています。

その一方、明王朝は、活発化する「倭寇」の海賊行為に対する鎮圧を室町幕府に求め、双方の利害関係は一致し、海上交通の整備と共に、造船技術も向上させています。

その結果、日本海側の航路が発達し、若狭の小浜と函館の宇須岸を結んで商船が行き来し、アイヌとの交易も活発化させています。

室町時代に日本海側の航路が利用されたアイヌとの交易

室町時代の北海道に住んだアイヌ民族と本州の人々との間では、日本海側の航路を利用した交易が行われています。

若狭の小浜と函館の宇須岸を結んだ航路の利用で、近畿地方の産物や、昆布を中心とした蝦夷地と呼ばれた北海道の産物が運ばれ、それぞれの地域にメリットをもたらしています。

その一方で、北海道に住むアイヌ民族は、交易によりメリットだけでなく、徐々に支配を強める本州の和人に圧迫されるキッカケとデメリットにもなっています。

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