現代の私達にとって、時計は生活に欠かせないものになっています。
腕時計や携帯電話など、ちょっとした時に時間を確認するためのツールも多く、最近では時間に追われている、という言い方もあるほど、最近の人は時間を気にしています。
では、そんな時間を示してくれる時計は日本の歴史とどう関わりを持ってきたのでしょう。
日本初の機械時計はザビエルが持ち込んだ?
現在私達が使っている時計に近い機械時計が初めて日本の歴史に登場したのは室町時代の末でした。
その頃日本では機械時計がなかったため、ヨーロッパから持ち込まれたその時計が日本史上初めての機械時計となるのです。
そして、当時は時計を表すには現在使っている「時計」という字ではなく、土圭、自鳴鐘、時辰儀という字を使っていました。
そんな機械時計を初めて日本に持ち込んだのはあのキリスト教の宣教師であるフランシスコ・ザビエルだったのです。
天文20年(1551年)、キリスト教伝来のために日本にやってきた宣教師のフランシスコ・ザビエルは現在山口県である周防の大名、大内義隆にキリスト教布教を願い出ます。
その時、ザビエルが贈ったものの中に当時自鳴鐘と呼ばれていた時計があったと「大内義隆記」に書かれているのです。
当時の時間を計ったものは?
では、室町時代の末に機械時計が持ち込まれるまではどんな時計が使われていたのでしょうか。
それまでの日本では、時を図るために様々なものを利用した時計を使っていました。
中でも、水時計はよく使われていた時計で、その名前の通り、水を使って時を計るものでした。
水を使ったその水時計で時間をはかり、鐘をつくことで町中に時刻を知らせることもあったようです。
室町時代の琉球においても水時計は使われていました。
例えば今も沖縄に残っている、漏刻門と呼ばれる場所があり、その櫓の中に水の漏れる量で時間を計る水時計が設置されていたのです。
他に使われていた時計は日時計、香時計など、太陽や香を使ったものがありました。
室町時代は季節で時間が変わっていた?
時間の測り方には大きく分けて定時法と不定時法という2つの方法があります。
日本の歴史の中で、これらの時間の測り方は時代によって変わってきました。
そんな中、室町時代に取られていた時間の測り方は、不定時法の方が一般的でした。
不定時法とは日の出、日の入りをもとに昼夜を等分したもの。
その為、季節によって一日の日の長さなどが変わってしまうというところが難点でした。
室町時代の末まで機械時計がなかった日本。
機械時計が広まる前には水や香など、様々なものを使って時を計ろうとしてきました。
そんな日本の時計の歴史に新しい風を吹き込んだものこそ室町時代にヨーロッパからもたらされた機械時計だったのです、