何か解決したい問題や決めたい事柄がある時に職場などでは会議を開いて決めることが一般的です。
その会議の内容は職場などによってさまざまなはず。
室町時代の村である惣でも、寄合という名前の会議が行われていました。
さて、その惣の会議のテーマにはどんなものがあったのでしょう?
解決法を決めるには数が必要?
その昔、農民たちが自分たちで作り上げた村が鎌倉時代の頃に自然に発生し、更に南北朝の動乱の時期に各地に広がり、その数を増やしていきました。
この農民たちが自分で作り上げた自立的、自治的な村の事を惣や惣村といいます。
南北朝の動乱の時期が過ぎ、室町時代に突入しても惣はしっかり定着し、組織的な運営をしていました。
そんな惣で行われた、村民の会議の事を寄合といいます。
室町時代の惣では寄合の仕組みもしっかり決まっていました。
どんなふうに寄合が行われたのか、簡単に説明しましょう。
まず、決めなければいけない、または解決しなければならないテーマがあります。
そんな時に惣の寄合は行われ、話し合われます。
そしてそこで決定された方針に従って、のちに大人(長・乙名)と呼ばれる人たちや沙汰人と呼ばれる村の指導者によって、惣は運営されていったのです。
そうやって行われていた寄合で、何かを決定するときに取られていた方法は現代とあまり変わらず、話し合いと多数決で決められていました。
指導者がすべての方針を決めるわけではなく、惣の寄合に参加した人たち全員の話し合いと多数決という方法で決定された方針に沿って惣は運営されるため、室町時代の惣の人たちの絆は深くなっていったのです。
村の掟もみんなで決める!
そんな室町時代の惣で行われていた寄合ですが、扱うテーマはさまざま。
まずは村人が守るべき掟、惣掟の決定に農業をするために必要な山、野原などの用水管理。
更に惣は自治的な村なので、現代の警察の代わりも自分たちで行わなければなりません。
その為の警察権を行使し、村の秩序を維持していくための地下検断(自検断)、領主に治めるための年貢をひとまとめにして請け負う地下講や祭礼についてなど、少し考えただけでもこれだけ決めることがあります。
惣は村民自身が村を運営するという自立的なところが特徴だったので、これを破ってはならないという村の掟などの基本的なところから自分たちで決めていったのです。
寄合の決定に命もかける?
室町時代の寄合であげられていたテーマの一つには、一揆の相談もたびたび含まれていました。
一揆をおこす理由は、不法を働く荘官の免職、水害や干ばつ時に年貢を減らしてもらうため、などです。
ただ、一揆をおこした結果、処刑されることも多く、一揆をおこすことは命をかけることと同じ事でした。
惣の寄合によって一揆の相談をし、話し合い、多数決でどうするかを決めて行う。
室町時代の惣で行われた寄合では、時に命をかけるほど重いテーマを扱っていたのです。