室町時代、上流階級とされていた中に貴族などの公家という階級があります。
この公家、実は室町時代の頃にどんどん力をなくしていった階級なのです。
それまで力を持っていた公家がその力をなくしてしまった結果、その時代においてどんな立場になっていたのでしょうか。
力をなくした公家
公家は古くから上流階級として多くの権限を持ち、強大な力を持っていました。
しかし、室町時代などの中世は武士の時代といわれるように、武士の力がどんどん強まっていった時代。
室町幕府は様々な権限を得ると同時に、公家は徐々に政治、経済面でそれまでの力を失っていったのです。
けれど、公家はそのまま消滅してしまったわけではありません。
実は、それまでとは違う方向で力を見せていくのです。
地方に向かった公家がなした役割は?
室町時代の頃に起きた応仁の乱。
この争いにより、京は荒れ果ててしまいました。
そんな京から公家は地方に避難します。
その公家たちが頼ったのが、地方の戦国大名たちでした。
そして地方の武士たちもそれを快く迎え入れるのですが、その裏にはある思いがありました。
室町時代の地方の武士は、京などの中央に強い憧れをもっていたのです。
特に、文化などは地方の武士にとってぜひ取り入れたいもの。
地方から避難してくる公家はその目当ての中央文化を持っている相手ということで、その避難を快く受け入れたのです。
実は政治、経済面で力を失った公家は有職故実の学問や古典の研究に力を入れており、伝統的な文化の面では逆に存在感を増していたのです。
そんな公家たちが避難した中には、山口というところもありました。
山口は日明貿易で栄えた大内氏の城下町であり、応仁の乱の後、文化人や公家たちが数多く集い、西の京といわれるまでになった場所です。
フランシスコ・ザビエルも訪れたことで有名です。
例えば活躍したのはこんな人だった
文化の面で力をつけてきた公家たち。
彼らは室町時代に起きた応仁の乱により、京から地方に避難したことで様々な文化を広める存在ともなっていました。
その中で様々な分野で名を知られるようになった人物もいます。
例えば、一条兼良を中心とした者たちは多くの研究書や注釈書を残したことで有名です。
吉田兼倶は神道を中心として儒学、仏教を統合しようとする唯一神道を完成させています。
さまざまな文化人によって儒学や和歌など古典の講義が行われ、書籍の出版もされるなど、中央の文化は地方にも徐々に広まっていったのです。
そしてそのきっかけを作ったのは文化の面で力をつけた公家たちでした。
政治、経済面ではそれまで持っていた力を失ったものの、伝統的な文化の担い手となった公家たちは各地で様々な活躍を見せていくのです。