鎌倉幕府が滅亡した後、京都では後醍醐天皇による親政が行われますが失敗に終わり、足利尊氏によって室町時代の幕が開けます。
室町幕府は、鎌倉幕府の次に誕生した日本の武家政権で、初代の征夷大将軍となった足利尊氏が京都で創始しますが、後醍醐天皇の吉野脱出により、南北両朝の並立状態も始まっています。
室町幕府は、鎌倉幕府とほぼ同様の職制を中央と地方に設置し、建武式目を基本法に制定し、鎌倉時代の御成敗式目を法令適用し、状況に応じて「建武以来追加」と呼ばれる追加法を出し対応しています。
ここでは、室町幕府の草創期に将軍を支えた執事、斯波氏によって変化した「管領」という将軍に次ぐ最高の役職についてご紹介します。
室町時代の幕府に置かれた管領とは何?
鎌倉幕府につづき武家による統治体制を模して誕生した室町時代の幕府は、足利尊氏が征夷大将軍となり君臨し、配下には中央と地方に機関を設置しています。
管領は、中央や地方の機関と将軍職の間に、室町幕府において将軍を補佐する役職として設置されます。
つまり、管領は、将軍とは以下の守護大名らを円滑に結び、幕府の政治を統轄する重要な役職で、将軍に次ぐ最高役職です。
また、幕臣の筆頭として、足利将軍家の元服や就任、任官などの重要な儀式に参列し、行われる行事を執り仕切っています。
将軍家である足利氏家宰だった執事の後継職として設置された役職です。
室町時代の幕府に置かれた管領と執事の違いは?
足利尊氏が征夷大将軍となり、幕政運営で将軍職に必要な補佐役として、執事という役職を設置しています。
室町時代の初めにつくられた執事には、高師直、細川清氏、仁木頼昭らがその職についています。
足利尊氏がつくった執事は、幕政を統轄する要職でしたが、元々は鎌倉幕府の一御家人だった足利氏家宰の職であり、二代将軍義詮の時代には執事職をめぐる権力闘争が繰り返されます。
僅か十三歳で執事に任じられた斯波義将を後見した父親の斯波高経が、足利一門から独立した鎌倉幕府の御家人のプライドから、執事に就くことを拒絶しています。
そのため、「執事」から「管領」という役職に転換され、実権を握っていた執事の職権から、あくまで将軍の補佐や全国の守護大名の統括といった職権へと変わっています。
管領は、細川氏と斯波氏、そして畠山氏といった有力な守護大名三家が交代で務めています。
室町時代の幕府におかれた将軍を補佐する管領
室町幕府の初代征夷大将軍となった足利尊氏が、自らの将軍職を補佐し、政務全体を管理してくれる重要役職として「執事」を設置しています。
室町時代がすすむにつれ、執事をめぐる権力闘争が繰り返され、鎌倉時代から足利氏とは同格の御家人だった斯波氏の「執事」就任をめぐり、「管領」へと転換されています。
将軍の補佐と守護大名の統括を行う「管領」へと変わり、実権を握っていた「執事」より強い立場ではなくなり、将軍の補佐役の職責へと変わっています。