荷物を届ける、というサービスに現代を生きる私達は慣れています。
しかし、昔は荷物を誰かのもとに届ける、というのは大仕事でした。
今のように便利な自動車などはもちろんありません。
けれどその一方で、室町時代などでは交通事情はどんどん整い、荷物を運ぶ仕事を行う人が増えていきました。
その荷物を運ぶ職業の事を室町時代では馬借、車借といいました。
でもなぜ、呼び方が2つもあるのでしょう。
何か言い方によって違いがあるのでしょうか。
室町時代の運送業者
室町時代は、交通事情が整うとともに、商品の流通が増えた時代でもありました。
そんな時代の中で増えていったのが運送業者。
各地に運びたいものが沢山あった室町時代の波に乗ってその数はどんどん増えていったのです。
その運送業者を馬借、または車借といいます。
この2つにははっきりした違いがあるのですが、荷物を運ぶ運送業者であるということは同じです。
この車借と馬借は同じ運送業者として、室町時代などの中世の流通を裏から支える大事な役割を担っていたのです。
何が始まりだったのか
そもそも室町時代において、それぞれ違いはあるものの、車借や馬借といった運送業者がおこったきっかけは京都などの農村で農閑期に荷を運んで駄賃を得ていたことだといわれています。
そこから時代が進み、滋賀の大津や坂本、京都の淀、木津、福井の小浜などの水陸ともに交通の要所となっていたところに多く集まっていたようです。
何がどう違う?車借と馬借
では、室町時代に増えた馬借と車借の違いは一体何なのでしょうか。
馬借は『石山寺縁起絵巻』、また車借は『洛中洛外図屏風』などでその姿が描かれています。
馬借という字の通り馬借は馬の背に荷をのせてお金を稼ぐ運送業者。
一方、車借という運送業者は牛や馬に車をひかせて荷を運んでいたのです。
つまり、馬借と車借の2つの運送業者の違いは牛や馬に車をつけるか、直接荷物を載せるかの違いだったのです。
ただそれだけの違いか、と思われるかもしれません。
しかし、馬借や車借にはそれぞれにメリットがあり、この違いのおかげで両者の住み分けが出来ていたのです。
例えば、馬は一頭で米が約2~3俵運ぶことができますが、牛に車をひかせることで運べる量が大きく増え、一度にその数倍の荷物を運べました。
では、車を使って荷物を運ぶ車借の方がいいのでは、と思いがちですが、ここでもう一つの要素が絡んできます。
それが室町時代の道路事情です。
室町時代には牛や馬にひかせる車が通れる道が限られており、車が通れる道としては淀~京都~大津が多かったようです。
つまり、車が通れない道も通ることができる牛、または馬を使う馬借の方が広く活躍することが出来ていたのです。
これらの違いがあったからこそ、両方ともに室町時代に活躍していたのです。