何か一つものを加えることによって、それが他のものに思ってもみなかったほど大きな影響を与えたりすることは多々あります。
室町時代の文化にとって、そんな大きな影響をもたらしたものは禅宗だといえるでしょう。
果たして禅宗が室町時代にもたらした影響とはなんなのか、そして禅宗がもたらされた結果、室町時代の文化がどう変わっていったのか見てみましょう。
目次
禅宗とは?
室町時代といえば、現在、日本の伝統文化といわれている文化がいくつも誕生、発展した時代ですが、そんな文化の発展の陰に禅宗の影響がありました。
そもそもここで出てくる禅宗とは何なのでしょうか。
禅宗とは、簡単に言ってしまえば座禅を重視する宗派のひとつで、日本では臨済宗、曹洞宗、黄檗宗の3つをひとつにまとめて呼ぶ言い方です。
日本へは室町時代より少し前の鎌倉時代の頃に臨済宗が、そして他の二つもそれに続いて入ってきました。
日本で生まれたものではなく、もとはインドで生まれたものが中国に伝わり、そこから日本に入ってきたものなのです。
あの文化も、この文化も?影響はいろんなところに
中国から日本に入ってきた禅宗ですが、その影響力はとても大きなものでした。
例えば室町時代の北山文化の代表の一つ、金閣寺の建築様式にも禅宗の影響が出ています。
金閣寺は伝統的な寝殿造風と禅宗寺院の禅宗様の折衷を見てとることができる建築様式なのです。
そして、そんな建築様式は北山文化の特徴を表しているといわれているのですから、禅宗が室町時代の北山文化に与えた影響は数知れず。
室町時代に基礎が築かれた水墨画も、禅の精神を具現化したものが多く描かれました。
中国帰りの僧や渡来僧によって宋学の研究が盛んにされたのも室町時代のことです。
そこから、絶海中津や義堂周信などが代表とされる五山文学も生まれました。
それもこれも、すべて禅宗の影響をうけていたり、禅僧によって行われた事です。
室町時代に起こった東山文化にも禅宗の影響が表れています。
この文化の特徴は禅の精神に基づく簡素さがある事。
枯山水も禅宗の影響を受けたものの一つ。
現代において伝統文化の一つとされる茶の湯でも室町時代のこの頃に茶と禅の精神統一を主張する侘び茶が誕生しています。
禅宗あってこそのこの時代?
では、なぜ禅宗の影響を強く受けた文化が日本の地方にも広がっていったのでしょう。
実は、その文化の地方普及には応仁の乱が大きく影響していました。
応仁の乱では京が荒れ果ててしまったので、公家、僧侶たちは日本各地の地方へと疎開していたのです。
この僧侶の地方疎開により、禅宗の影響を強く受けた文化は地方へと広まっていったのでした。
室町時代の文化は東アジアとの活発的な交流により育まれた文化です。
外国から入ってきた禅宗がそれまであった日本の伝統的な文化と合わさって、新しい形になった文化が誕生したのが室町時代だったのです。