室町時代の東山文化と北山文化

室町時代は現在でも続いている文化の多くを生み出し、発展させた時代でした。

それまでになかった文化をうみだし、しっかりした軸を持つ文化に育てたことで現在まで続く文化が多く誕生したのだといえます。

そんな室町時代の中では、最初に北山文化が、そしてそのあとに東山文化が誕生しました。

室町時代に生まれた文化はその2つの文化を通じて発展していくのです。

では、北山文化と東山文化を通してどんな文化がどんな発展を遂げたのでしょうか。

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2つの文化の基礎の基礎!

まず、北山文化と東山文化を簡単に説明していきましょう。

どちらも室町時代の文化ですが、先に出たのが北山文化、そのあとに出たのが東山文化です。

当時の将軍でいうと、足利義満の時代は北山文化、足利義政の時代に東山文化、となります。

北山文化は禅宗の影響を強く受け、日本と外国の文化が溶け合った文化を多く生み出しました。

そして東山文化は、北山文化の時に花開いた文化が生活習慣のなかに取り込まれ、新しい文化として再開発されたことが特徴です。

北山文化の代表としては、足利義満が建てた鹿苑寺金閣、東山文化は義満にならって建てられた銀閣があげられます。

能は2つの文化の中でこう進化した!

室町時代に誕生、発展した文化といえば能があげられます。

そしてこの能も、北山文化と東山文化とで違った面から発展していった文化の一つ。

最初は神事芸能として出発した猿楽や田楽の中から歌舞、演劇の形をとっていたのが能でした。

北山文化の頃にはそれが発達し、寺社の保護を受けて演じる座という専門集団があらわれ、室町時代を通じて各地で行われるようになりました。

『洛中洛外図屏風』の観世能図の部分には能の初期の舞台の様子が描かれています。

一方、そのあとの東山文化では、その能が盛り上がりを見せるのにつれて、その舞台で使う能面を作る技術が発達しました。

能という大きな文化を育てたのが北山文化なら、能面を作る技術を発達させることでそれを補助し、現在まで続くような伝統文化にしたのが東山文化だったのです。

建築ではどんな違いが?

室町時代の中で、能と同じような発展を見せたのが建築です。

北山文化ではそれまでの日本の主流であった伝統的な書院造りと、新しく入ってきた禅宗様の建築様式が合わさり、新しい建築様式が生み出されました。

鹿苑寺金閣はそんな北山文化の特徴がよくわかる建物です。

一方、東山文化では、そんな建物に合う庭園が生み出されました。

それが禅の精神で統一された枯山水です。

枯山水は岩石や砂利を組み合わせることで象徴的な自然を作る庭園です。

北山文化で生み出された建築様式に、それを補助する庭園を生み出したという構図は能と能面の関係によく似ています。

室町時代の北山文化と、そのあとに続く東山文化は、まず北山文化で主流となる文化を生み出し、それをさらに発展させつつ東山文化でそれを支える文化も作り出し、一体となることでそれまで以上に大きく、しっかりした軸を作り上げ、今日まで伝統文化として続く文化を生み出すことに成功したのです。

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