室町時代の惣寄合って?

室町時代にはそれまでとは違い、農民たちが自分たちで村を作り上げることが増えていきました。

自分たちで作り上げた村だったので、その村の存在を保っていくために農民たちは様々な工夫をしたりして村を運営していたようです。

では、そんな村の運営について見てみましょう。

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作った村、どう運営していこう?

室町時代になると、村が自然発生していくことがたびたびありました。

この村は農民たちが自分たちで作り上げた村であり、その村の一番の特徴は自主的、自治的であった事です。

そんな風に自然発生し、農民たちが作り上げた村を惣、または惣村とも呼びます。

室町時代に農民たちが自分たちで作り上げた村、惣。

その惣をうまく保っていくためには、様々な事を決めたりしなければなりません。

ただ、頼れるのは農民たち自身だけ。

村の運営方法を決めるため、また他の事を決めるためにも農民たち自身で話し合う場所や機会は必ず必要とされました。

そうやって惣の中で様々な事を決める時などに開かれる会議の事を惣寄合といいます。

この惣寄合の中心メンバーとなるのは、乙名、長、そして沙汰人や年行事と呼ばれる人たち。

その中心メンバーが村の指導者として惣寄合を主導するなど、惣を運営していったのです。

話し合いの議題は?

村の存在を保っていくために必ず必要とされた惣寄合でしたが、その惣寄合ではどんな事を話し合っていたのでしょう。

惣寄合では村を運営していくために必要となる村のルールを決めたりしていました。

その村を運営していくためのルールは惣掟といわれ、殺人や放火などの罪を犯した者への罰が定められていました。

また、他にも惣掟に定められているルールには様々なものがあり、畑の作物を育てる肥料である草木灰の原料、山の木や草を勝手にとる事などを禁止したりするなど、農民の日常生活にも密着したものでした。

祭礼や入会地、用水の管理、さらには一揆の相談など、惣寄合で話し合う議題は様々。

室町時代の惣では、惣寄合によって決められた事をまもり、その通りに過ごすことによって無事に村が運営されていくと同時に、村人たちの間には強い結束が生まれていったのでした。

何事も相談して決める惣村

室町時代に自然発生して出来た惣村。

惣村では農民たち自身が自分たちだけで村を運営していかなければならないという、自主的、自立的だという事がその一番の特徴でした。

その惣村を農民たちだけで維持していくためには何事も話し合って決める事が大切でした。

その為に行われた会議である惣寄合。

農民たち自身が安心し、平和的に暮らせるよう、村の独自のルールを自分たちで定め、村で起こるすべての紛争を自分たち自身で裁いたり、一揆の相談をおこなったり。

村を運営、維持していくために必要なすべての事を決めていたのが惣寄合なのです。

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