室町時代の音楽と聞いて、皆さんは何を思い浮かべるでしょうか。
具体的なものは特に思い浮かばないのではないでしょうか。
私達は好きな音楽を好きな時に聞きますが、昔はどうだったのでしょう。
例えば室町時代では、どんな時にどんな音楽を歌ったり、演奏したりしていたのでしょうか。
舞と歌は神様への捧げもの?
日本の音楽の歴史を振り返って見てみると、必ず行きあたるのが神楽でしょう。
神楽は日本の神事で行われる歌と舞の事。
全国ではさまざまな神楽が行われていますが、昔から伝えられ、現在でも行われている有名な神楽として、島根県西部(石見地方)、広島県北西部で行われている石見神楽があります。
そんな風に神事で行われる神楽は古くから神様へ捧げられるものでした。
昔から音楽は神様へと捧げられるものの一つだったのです。
そんな神楽と外来の音楽などが加わって出来たのが雅楽です。
雅楽も現在に受け継がれており、宮中の儀式が行われる際などに演奏されます。
その際には竜笛などの楽器も使われています。
神楽や雅楽から見てとれるように、古くから音楽は重要な儀式などを彩るもの、そして神様への捧げものとしても演奏されていたのです。
歌う僧侶?
室町時代の頃には、声明というものがありました。
声明は仏教音楽のひとつで、御経などに節をつけて歌われるものです。
室町時代、この声明は僧侶が行っており、声明を行う専門の僧侶が存在していました。
室町時代には法会儀式などで歌う僧侶の姿を見る事が出来たのです。
ただこの声明というものは、伴奏、つまり使用する楽器はほぼありません。
声だけで行われるものであり、ほぼ伴奏がないという特色を保ちながら発展していったのです。
田植えも音楽とともに
日本人としてとても重要視されていた米作り。
その米作りにとって重要な田植えの場にも音楽は欠かせないものでした。
田植えの際に行われる音楽は田楽といって、田植えをしている最中、ささらという主要楽器とともに笛や腰鼓を演奏しながら歌や舞を行っていました。
平安時代には行われていた田楽ですが、室町時代の頃にはさらに流行し、それを職業とする芸能者も現れました。
また、同じく室町時代に盛んに行われていたものとして、より古くからおこなわれていた猿楽というものもあります。これは中国から伝わった散楽に日本の滑稽な技などが加わったものです。
その猿楽と関わりが深いものに猿楽能がありますが、この猿楽能と田楽は室町時代に競うように発展していきました。
しかしその後、田楽は少しずつ廃れ、現代では民俗芸能として日本の全国各地に残っています。
これら日本古来の音楽から室町時代までの音楽の歴史を見てみると、声明など、楽器がメインではなく声をメインとした音楽が発展していったことが分かります。
更に、神楽や室町時代に声明を行った僧侶などに見られるように、儀式を彩る為のものとして音楽を利用する場合が多く見られます。
日本人にとって音楽とは、重要な儀式や行事を行う際には欠かせないものだったのです。