昨今のペットブームの波は、癒しブームと同時におこってきました。
「癒されたい」という理由からペットを買い求める方も多いようです。
例えばペットの代表格の犬などは、様々な品種が誕生し、まさに人類のパートナーとしての位置を確保しているように見えます。
けれど、日本で犬との歴史を振り返った時に、癒しとは程遠い、人との関係が見えてくること、御存知でしたか?
犬ブーム到来、けれどペットではない?
ずっと昔から人と暮らしていた犬。
室町時代ではそんな犬のブームが沸き起こりました。
しかし、この犬ブーム、ペットとしてではありません。
実は、犬追物ブーム、と呼ぶべきものだったのです。
そのブームを起こした犬追物というのは、武士の間で行われた武芸の一つ。
追物というのは追いかけて射る追物射のこと。
そこに犬という字がつけば、つまりは犬を的として、追いかけて射るというものだったのです。
この犬追物はどうやら鎌倉時代成立後に始まったようですが、鎌倉幕府が公式の行事として行ったという記録が残っています。
室町時代に幕府が行った犬追物としては、足利尊氏が三条河原で行ったものが最初だといわれています。
そこから犬追物ブームが沸き起こっていったのです。
この犬追物、他にも御犬、犬会、射犬という呼び方があり、公家や武家、寺家の日記などにたびたびそのことについて触れている記述を見つけることができます。
例えば室町時代の禅僧である瑞渓周鳳の日記、「臥雲日件録」には足利尊氏の犬追物を夢窓疎石が諫めた、という記述が残っています。
室町時代では、現代のペットと飼い主としての姿とは全く違う犬と人との関係を見る事が出来るのです。
犬をとことん利用?
室町時代の犬には、現代、ペットとして飼われている姿からは考えられない利用方法がありました。
実は室町時代には、薬として犬を食べることがあったのです。
犬を食べていたことがわかる資料も残っています。
その一つが宣教師であるルイス・フロイスの書いた「日欧文化比較」です。
その中でフロイスは、日本人は私達が牛を食べるのと同じように犬を食べている、という意味の記述を残しています。
犬食いをした人の中には伏見宮貞成親王(後崇光院)も名前が残っており、1421年に流行していた疱瘡にかかってしまい、薬食いとして山犬を食べたという記録が残っているのです。
知られざる犬と日本人との関係
室町時代の犬と人との関係を見ていくと、現代の癒しブームにのって飼われているペットとしての犬とはまったく違った姿が見えてきました。
薬として犬を食べていたり、犬追物という追物射がブームになっていたり。
一方で番犬としても飼われていたり、時代によってさまざまな人との関係を見る事が出来ます。
夢窓疎石が犬追物をする足利尊氏を諫めていたりと、室町時代の誰もが犬追物などを好ましく思っていたわけではないようですが、当時としては牛追物や犬追物は正式な行事としても行われていたことでした。
時代が変わると、人々の「普通」も変わってきます。
現代の癒しとしてのペットは未来の人々にどんな風に見られることになるのでしょうか。