室町時代の中国の王朝との関わり

歴史の中で、色々なものが移り変わっていきますが、お隣の国との位置関係は変わっていません。

今も、昔もお隣の国は同じです。

そんな近しい国の一つである中国。

日本の事はある程度知っていても中国の王朝などは詳しくないのではないでしょうか。

室町時代の中国の王朝について、少し見ていきましょう。

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偉人続々!中国の王朝

中国の朱元璋は、明朝を築きあげた人物であり、皇帝の地位についてからは太祖洪武帝として、南京を都とする中国統一を成し遂げました。

また、明時代の中国には多彩な偉人も多く、画家、そして書家である薫基昌のように、官僚を経験しながら芸術家でもある、という人物もいます。

儒学では朱子学を批判した王陽明が有名です。その王陽明が現代でも知られている知行合一を説いた陽明学は学者だけではなく、庶民からも評判を得ていました。

少し目を向けただけでも、さまざまな分野が発達し、現代でも知られる偉人が生まれた時代だったのです。

上から目線の貿易方法?

日本が中国とつながりを持っていたのは遣唐使の廃止ごろまで。

そこからは中国との貿易は途絶えていました。

しかし、その途絶えていた貿易を復活させたのは室町時代の足利義満。

しかし、この貿易方法は少し独特なものでした。

その室町時代に行われた特殊な貿易は勘合貿易、または日明貿易、朝貢貿易ともいわれます。

この朝貢貿易は貿易国が同じ立場で貿易をする事を認めていません。

どんな貿易だったのか簡単に説明してしまうと、明の皇帝は貿易国が同じ立場で貿易をする事を認めていなかったため、周辺の国の王から明の皇帝に捧げものをする、という形をとっていたのです。

つまり、日本は明の皇帝の臣下として貿易をおこなっていたのです。

この貿易は利益が大きく、とても儲かったものの、プライドはないようなものだったので、日本国内でも問題にされ、この貿易を始めた足利義満の死後、一時やめてしまいました。

中国の王朝と日本との関わり

先ほど紹介したように、室町時代には足利義満によって中国の王朝との貿易がスタートするなど、関わりが深くなっていきます。

それまでほとんど関わりを持ってこなかった明の王朝との貿易で、書物などが国内に入ってきました。

なかでも、輸入品の銅銭は当時お金を作っていなかったため広く利用され、室町時代の国内では明のお金が使われるという、現代の私たちから見ると少し不思議な状況を生み出したのです。

沢山の物をお互いにもたらした中国の王朝と室町時代の日本との関わり。

近しい国である中国と日本との関わりは多くの物をもたらしながら今の時代まで続いてきたのです。

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