室町時代の僧侶の意外な生活

僧侶といえば、一体どんなイメージを思い浮かべるでしょうか。

お寺の中で厳しい掟を守り、自らを律しながらまっすぐ教えと向き合う姿でしょうか。

室町時代の僧侶の姿を見てみると、僧侶の中にも色々な役割をもち、それによって世間と関わる姿を見てとることができます。

室町時代、一体どんな僧侶がいて、どんな風に世間と関わる生活を送っていたのでしょうか。

スポンサーリンク
muromachi-jidaiレクタングル大

文化を運んだ室町時代の僧侶たち

室町時代の禅宗の僧侶の中には中国からの渡来僧や中国帰りの留学僧など、中国との関わりを深く持つ僧侶が多くいました。

そのため、自然と中国の文化などを日本に持ち込み、文化を広める役割を担っていたのです。

中国から伝えられた文化には庭園様式、水墨画、建築などがありました。

他にも宋学の研究や漢詩文の創作も盛んであり、その分野では絶海中津、義堂周信らがよく知られています。

彼ら僧侶はその深い知識を買われ、幕府と関わって政治運営にも影響力を持っていました。

室町時代、中国と関わりが深い僧侶たちが日本に広めた文化によって、室町時代の文化は日本の伝統文化として更に発展を遂げていったのです。

僧侶たちの役割、そして世間との関わり方

中国からの文化を日本に広めていった僧侶たち。

その中国からの文化の中で、点心というものがありました。

室町時代以前は一日2食が普通でしたが、中国からもたらされた点心はその食事の間に取る軽い食事の事。

室町時代では、その点心の文化を真っ先に伝えた僧侶たちから一日3食の風習がひろまっていくのです。

また、室町時代には肉食を禁止した僧侶のために精進料理も誕生しました。

その料理を作る役割の僧侶もいます。

「典座」というのがその役割の名前です。

料理も修行の一環とするなかで、典座は重要な立場とされています。

また、他にも室町時代には禅僧でもあり、水墨画を描く画家でもある画僧や、談義僧といった仏教を面白おかしく語り、説教する僧なども出てきます。

これら室町時代の僧侶からは世間と関わり、教えを広めていく姿を見てとることができるのです。

室町時代にはあの僧侶もいた!

活躍した僧侶として、如拙や四睡、明兆があげられます。

四睡は鎌倉末期に中国へと渡った画僧であり、四睡図という水墨画を残しましたが、その作品は後に逆輸入され、日本でも有名になりました。

また、同じく如拙も画僧であり、水墨画で瓢鮎図という作品を書きました。

この瓢鮎図は禅宗の教えをテーマにした作品であり、こうして水墨画として残すことで教えをつたえようとしていたのです。

他にこの時代には、誰もが知っているほど有名な僧侶として一休宗純があげられます。

この一休宗純も実はかなりの文化人であり、詩集「狂雲集」を残しています。

その一休宗純は官寺の腐敗と堕落を危行と狂詩で批判した人物でした。

室町時代の僧侶は中国からの文化の運び手でもありますが、一僧侶として教えと向き合い、広めていこうとしていた姿を見てとることができます。

画僧は水墨画の中に禅宗の中で伝わるテーマをこめ、漢詩などの深い知識を持つ僧侶はそれを使って世間と関わりをもった日常を過ごしていたのです。

スポンサーリンク
muromachi-jidaiレクタングル大

muromachi-jidaiレクタングル大

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする