日本の歴史を振り返ると、どうしても天皇や将軍がいた場所で歴史に名の残る出来事が起きがちです。
その一方で、あまり歴史に登場しない場所もあります。
例えば、北海道もその一つではないでしょうか。
室町時代では政権が置かれた場所からも遠く、存在感があるとは言い難い北海道。
そんな北海道では室町時代にどんな歴史が刻まれていたのでしょうか。
本州から北海道へ
室町時代という頃は京都で出汁というものがじわじわ広がり始めた時期でした。
その出汁を作るなかで重要な存在なのが昆布。
そして室町時代に出汁をひく為に使われたその昆布、多くは北海道からやってきたのです。
14世紀には畿内と津軽の十三湊とを結ぶ日本海交易が盛んに行われていましたが、そこで取引されていたものこそ昆布だったのです。
他にも、鮭など北海道の海の幸が京都へ渡っていました。
また、蝦夷ヶ島と呼ばれた北海道の南部に本州の人々が渡り、各地の海岸に湊や館を中心とした居住地を作り始めたのもこの室町時代の頃。
和人といわれるこの人々は、津軽の豪族安藤氏の支配下にはいり、徐々に勢力を伸ばしていったのです。
北海道の経済的繁栄
京都に運ばれていった昆布や鮭のように、北海道と本州が交易するために欠かせない拠点となっていたのが津軽の十三湊であり、蝦夷ヶ島の産物の流入口として重要な場所でした。
また、本州から渡った人が各地に建てた道南十二館のひとつ、函館市にある志苔館からは室町時代前後に埋められたと見られる中国銭が数多く出土しており、その頃の北海道が経済的に発展していた姿を垣間見ることができます。
現代でも海の幸が豊富な事で人気の北海道は、室町時代頃にもそれらの海産物を大いに利用していたようです。
北海道の先住民、アイヌの行動
本州から北海道へ渡ってきて和人と呼ばれるようになった人たち。
また、北海道にはもともと和人達がやってくる前からアイヌという民族が住み、漁や狩りで生計を立てていました。
そこにやってきた和人達とアイヌは交易を行っていました。
しかし、和人の進出はアイヌを徐々に圧迫していきます。
その結果、圧迫に堪えかねたアイヌは1457年、大首長コシャマインを中心に蜂起し、和人達が海岸に建てていた館などを壊していくのです。
しかし、だいぶ奮戦したアイヌ達でしたが、最終的には上之国の領主であった蠣崎氏によって鎮められてしまいます。
そしてアイヌ達を鎮めた蠣崎氏はそののち、道南地域の和人居住地の支配者として勢力を広げ、名を残すことになるのです。
室町時代に京都で広まり始めていた出汁に使う昆布の出どころを辿ると北海道に行きつき、海産物で利益を上げる北海道の繁栄を知る事が出来ました。
そしてその繁栄の陰には本州から渡っていった和人達の広がりと、それに押されていくアイヌたちの姿、そしてそれらすべてを利用しのし上がる一族までもが見えてきます。