学生時代、現代にいたるまでの日本の歴史の流れを学んだことと思います。
けれど、とにかく学ぶことが多くあるため、その時代の地方の事などはあまり学んだ覚えがない方も多いはず。
例えば、室町時代の出羽のことなどはどうでしょう?
室町時代、地方ではどんな事が起こっていたのか、出羽を例に挙げて見てみましょう。
指揮官がいない?
室町時代、武士にはさまざまな仕事がありました。
守護もそんな武家の職のうちの一つ。
地方におかれた守護という職は、一言で説明すると国単位で設置された軍事指揮官の様なものです。
ただ、あちこちの地方におかれた守護でしたが、そういった働きをする守護が置かれていないところも室町時代にはあったのです。
そのひとつが、出羽でした。
出羽というところは、出羽国ともいわれ、現代における山形県、秋田県に当たります。
その出羽では、鎌倉時代から室町時代まで、守護が置かれてはいませんでした。
けれど、指揮官の様な役割を果たす守護がいないとなると、その土地を治めておく上で、いろいろ不便な事が起こるはず。
では、室町時代、出羽ではなぜ守護を置いていなかったのでしょうか。
本州から北海道まで、幅を利かせていた武士
出羽に何故守護が置かれていなかったかを知るには、知っておかなくてはならない一族がいます。
それが、安藤氏。
または安東氏という字を使うこともあります。
安藤氏は武士の一族で、その勢力はとても大きなものでした。
室町時代から少しさかのぼり、鎌倉時代から戦国時代の末ごろまで陸奥国、出羽国の北部にその勢力は及んでいたのです。
出羽だった現在の秋田県には檜山城という城の跡が残っており、この檜山城こそ安藤氏が本拠地として使った事もある城なのです。
守護の代わりとは?
室町時代、出羽に守護が置かれなかった理由はこの安藤氏に深く関わってきます。
蝦夷ヶ島と呼ばれた現在の北海道の南部には、本州から人々が渡り住み、あちこちの海岸に居住地を作っていました。
和人と呼ばれるこの人々を支配下に治めていた安藤氏の勢力は相当なもの。
その実力は室町時代の幕府も認めており、応永二年(1395年)、足利義満は津軽十三湊下国安藤盛季の弟である鹿季を出羽国秋田の新領主として認めています。
また、勢力下においている北海道との交易を通じて出羽の安藤氏が手に入れていた利益もとても大きなものでした。
北海道の一部も領地とし、得ている利益も大きな安藤氏。
室町時代、守護を置いていなくても、その代わりに領地に目を光らせ、統治していくことができるほどの実力をもった一族が出羽には居たのです。
あまり学生時代には習わない、日本の歴史の地方の話。
なぜ守護が置かれなかったのか、を紐解いて考えていくと、その土地に暮らし、力をつけていた一族が居る事、そしてその動きなどが鮮明にわかる事もあるのです。