歴史を学んでいく中で、必ず出てくるのが「一揆」という言葉。
簡単に説明すれば、作物などを作る人々や領主の圧政に苦しむ人々が年貢を減らしてほしい、などの要求を訴える事です。
武力で衝突する事もあったり、「脱走して作物を作らないぞ」と脅してなんとか要求を通そうとしたり。
そんな一揆も、時代によって少し変化があります。
ここでは、室町時代と江戸時代の一揆の違いについて見ていきましょう。
一揆にも時代の流行がある?
一揆にはいくつか種類があります。
なかでも、室町時代と江戸時代に深くかかわってくるのは「土一揆」と「百姓一揆」の二つ。
室町時代には土一揆が、そして江戸時代には百姓一揆が主流だったという違いがあるのです。
室町時代に主流だった土一揆。
これは土民といわれる人たちが団結して起こした一揆の事です。
そして江戸時代に主流だった百姓一揆は百姓が団結しておこした一揆の事。
百姓が起こすか、土民が起こすかの違いですね。
また、ここでいう土民というのはその土地で生まれ育った人の事。
つまりは地元の人の事です。
土一揆はその特定の土地に住む人たちが起こすもの。
そして百姓一揆はその土地に住む百姓という職業についている人たちが一致団結して起こすものです。
室町時代、土一揆が数多く起こるようになりました。
その理由として、惣、惣村などの農民たちが自立的・自主的な組織を作り出した事があげられます。
惣、惣村を作る事によって、農民の間の絆が深まり、一揆など、一致団結しなければならない事がよく起きるようになったのです。
江戸時代におきた百姓一揆の背景
そして室町時代から江戸時代に変わり、一揆にも違いが出てきました。
先ほど触れたとおり、土一揆から百姓一揆が主流になったのです。
しかし、一揆をおこしても掲げている要求が通るかどうかは分からず、通っても一揆の首謀者は処刑されてしまう事が多かったのです。
では、なぜ一揆はなくならず、たびたび起こっていたのでしょう。
その理由の一つは、江戸時代に起こった飢饉にあります。
江戸時代は、飢饉にたびたび襲われる時代でした。
のちに大飢饉といわれる飢饉も起こり、餓死する人も多かったようです。
そんな飢饉のなか、どうしようもなくなったのが百姓たちでした。
とれた作物を使って年貢を納めていたのに、その作物が不作で、お上に納めるどころか、餓死者すらでる状態です。
少しでも生きていけるよう、取れる手段は上への訴え、つまりその焦燥が百姓一揆の頻発につながっていくのです。
訴えて状況をよくしたい、命がけの行動
江戸時代と室町時代、一揆の種類の違いを見ていきました。
農民の絆が深まり、一揆が増えた室町時代。
飢饉に襲われ、どうしようもなくなって百姓一揆をおこした江戸時代。
どちらの一揆でも、首謀者は処刑される事が多かったのが一揆です。
でも、それでも命がけで自分たちの状況をよくしようとした結果でした。
どちらの時代でも、一揆が起こる背景には、いろんな出来事、背景があるのです。