今では昔ほど魚を食べる回数が少なくなったといわれていますが、昔から日本はよく魚を食べる魚食の国でした。
それは今でもさまざまな魚の食べ方が伝わっていることからしても明らかでしょう。
刺身に焼き魚、煮魚と、その数を挙げればきりがないほど。
では、そんな魚中心の食卓を支えてきた漁業について、室町時代に焦点を当ててみていきましょう。
海が遠くても魚を食べたい!流通ルートを切り開け!
いくら日本が魚食の国といっても、ずっと昔から日本中の人が海から取れた魚介類を口にしていたわけではありません。
その理由はもちろん、海からの距離。
現代のように獲れたてを海から遠い地域に運ぶすべを持たなかったため、海から獲れた魚介類を食べる地域は決まっていたのです。
それが変わってきたのが室町時代のころでした。
室町時代は産業が発達し、職人や行商人が増えた時代でした。
その為、さまざまなものを運ぶ流通ルートがひろがり、魚を運ぶための流通ルートも出来あがっていったのです。
そうなっていけば、もちろん海からの魚介類を食べる地域が多くなります。
そしてより魚を欲しがる人が増え、それに伴って漁業も発達していったのです。
その頃の漁業は日帰りで?
流通ルートの拡大によって魚を欲しがる人が増え、漁業も発達した室町時代。
今でこそ漁業では何カ月も海に出たままの漁のやり方もありますが、当時の漁業は日帰り中心の漁を中心に行われていました。
日帰りできるほどの距離で行う漁、つまり沿岸漁業の事です。
室町時代の漁はこの沿岸漁業を中心に行われており、地引き網漁などの方法で魚をとっていました。
この地引き網漁で有名なところがあります。
それが九十九里浜です。
この九十九里浜では、まさに室町時代に地引き網漁が他の地域の漁師によって伝えられ、漁をするようになりました。
その九十九里浜での地引き網漁で大量にとれた魚といえば、イワシが有名です。
そしてそれによって、九十九里浜のイワシ漁として名が知れ渡っていくことになったのです。
魚の食べ方のあれこれ
海から離れた地域でも海の魚介類を口にする事が出来るようになった室町時代。
流通ルートの拡大、漁業の発達と、どんどん魚の種類も増えていきました。
そんな中、人々はよりおいしく魚を食べる方法を生み出していきます。
まず、魚が出回るようになったといってもよりおいしく食べるために保存方法は大切です。
その為、今までよりもっと塩蔵や干物などの保存技術も色々考えだされていきます。
その一方、新鮮な魚介が手に入る機会も増えてきたため、今まではなかった生の魚を食べる刺身という料理方法も新しく出来ていきます。
流通ルートの拡大のおかげで手に入った海の魚をよりおいしく食べようとする人々に支えられ、室町時代の漁業もどんどん発達していったのです。