乞食という室町時代の身分の人々

外国との貿易を新しく始めたり、今につながる日本の伝統文化が誕生、発達した室町時代ですが、そんなにぎやかさを持つ一方で、大飢饉がおこり、多くの人が飢え死にしたり、裕福な人と貧しい人との差が激しくなった時代でもありました。

その差を決めるものは多くありますが、身分もそんなものの一つ。

けれど、室町時代には乞食の身分だった人が町人の身分になることもあった時代です。

それも、自分の力で。

乞食と呼ばれる人々にはどんな人がいたのか、どうやってその身分を変えることが出来たのか、見てみましょう。

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乞食と呼ばれた人々

室町時代には自治的な生活を行う惣や町組が誕生しました。

ですが、室町時代の惣や町組は被差別民を排除していて、被差別民の集落は自らの集団の中には含んでいませんでした。

一方で、室町時代の都市に住む人々は被差別民に多くの種類の仕事を担わせていました。

死体処理などの掃除、刑罰を行うもの、そして都市に集まる重病者や浮浪者などの監督もその仕事の中の一つ。

そして、被差別民はその浮浪者らとともに乞食、非人と呼ばれていたのです。

乞食から町民になる方法があった?

室町時代は貨幣経済が発達したため、お金を持っている人はそのまま力を持っていることとなり、それは時に身分の境界さえ揺るがすほどとなっていました。

そんな室町時代で、乞食という身分から抜け出し、町民となる方法があったのです。

町民とは「町」の構成員のこと。

京都で町民として認められるには、家を買って家主になる事が必要でした。

逆に言えば、京都では家さえ持てば町民として認められるのです。

室町時代にはそのように個人が乞食から町民へと身分を変える方法があったのです。

低い身分でも有名な人がいる?

室町時代には、乞食とみなされる職にはいくつか種類がありました。

『日本大文典』には、七乞食として、猿楽、田楽、ささら説教、青屋、河原者、革屋、はちこくりの名があがっています。

他にも、造園家などが乞食とみなされていました。

けれど、乞食と呼ばれた職に就いていた人物の中からも、その時代を代表するような有名な人物が出てきているのです。

そのなかの一人が善阿弥です。

善阿弥は刑罰を執行する河原者でしたが、造園家でもあり、その腕は一流でした。

室町時代の金閣、龍安寺などの庭園も乞食の身分だとされた造園家によってつくられたものだったのです。

また、室町時代の頃は芸能者の多くに乞食と呼ばれる身分の被差別民も含まれており、農村の寺社の祭礼などに巡行していました。

現代の私達が思う乞食という身分の人々とは、だいぶ違う室町時代の乞食であった人々。

しかし、歴史の陰に隠れがちなそれらの人々は、他の人々と変わらず、時代の一端を担う人々であったのです。

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