現代に生きる私達は本物の武士にあった事はありません。
武士、といわれて想像するものは映画や本で描かれている武士のようなイメージだと思います。
守りたいものを何が何でも守り抜く、や質実剛健、といった言葉がよく似合う、少し貧しい生活をしているような姿が思い浮かぶのでは?
でも、時代や見方によってそれだけではない武士の姿が見えてきます。
ここでは、室町時代の武士の生活を見ていきましょう。
実は古くからの慣習を守るだけではなく、新しい物を積極的に生活に取り入れる武士の姿がそこにはあるのです。
武家が文化にも影響を与えた時代
室町時代の武士の生活は、鎌倉時代に比べて特に変化はありませんでした。
ただ、一日2回だった食事の回数が増え、現代と同じ一日3日になってきたのがこの時代頃。
そして、室町時代は南北朝の動乱を背景にして生まれた南北朝文化と、北山文化、そして東山文化という大きく分けて2つの文化が栄えます。
その3つの文化のうち、北山文化は武家文化などの影響を受けた文化であり、能などもその中で発達を遂げていきました。
実は新しい物好きだった?
室町時代の文化、南北朝文化。
南北朝の混乱を背景として生まれたこの文化には、実は武士が大きく関わっています。
この南北朝文化では連歌や能楽、茶寄合などが盛り上がりを見せました。
それらのものは、うまく生活の中に取り入れられ、日常的に楽しめるものとなっていったのです。
そんな中でもいち早くそれらを生活の中に取り入れた者たち、そしてそうすることによってそれらの文化の流行を作りだした者たちこそ武士だったのです。
南北朝の混乱の中で生まれ、成長していったいわゆる新興武士たち。
これらの新興武士たちの多くが新しいものを好むという面がありました。
その事によって、さまざまな文化をいち早く自分たち武士の生活の中に取り入れ、流行の担い手になったのです。
そうやって文化の担い手になり、武士たちが生活の中にうまく新しい文化を取り入れていた事はこの武士たちが「バサラ」と呼ばれた事からもうかがい知れます。
「バサラ」とは派手、ぜいたくといった事を表す言葉なのです。
憧れを生活に取り入れる武士たち
応仁の乱で京都が荒れた事によって、そこに住んでいた京都の公家たちは安全な土地と求めて地方に下りました。
その時に公家たちが頼ったものが地方の武士たち。
そして地方の武士たちも、京都から下ってきた公家たちを快くむかい入れました。
実はこの室町時代、地方の武士たちには中央の文化に強い憧れを抱いていました。
その憧れのため、自らの生活に中央の文化を取り入れるべく、京都から下ってきた公家たちを歓迎したのです。
公家たちが運んでくる中央の文化に酔いしれ、生活に取り入れることで文化の担い手になっていく武士たち。
室町時代においては、ただ昔からの慣習を受け継いだ生活を続けるだけではなく、新しい文化を自らの生活に積極的に取り入れ、楽しむ武士の姿を読み取る事が出来るのです。