武士、といえば時代劇や歴史小説などでおなじみの存在。
でも、そこで見る武士はどれも似たような、ステレオタイプな武士として描かれていることが多いです。
けれど、本当は一言で武士といっても、時代によって、更には一つの時代の中でも様々な変化を見せているのです。
例えば、室町時代にはどんな武士がいて、どんな考え方をしていたのでしょうか。
力を増した武士たち
鎌倉時代が終わり、室町時代に移り変わる南北朝の動乱の時、争いによって世の中が混乱していました。
その動乱の中で力をつけ、様々な権限を利用して荘園などを侵略、家来にした武士に分け与えた武士がいました。
そんな武士の中には一国に及ぶほど強大な力を持つ武士も誕生しています。
室町時代に誕生したそんな武士の事を守護大名といいます。
南北朝の動乱の中で力をつけ、のし上がってきた武士たちには、戦乱を生き残る強大な力が必要とされていたのです。
バサラな武士たち
守護大名と同じく、南北朝の戦乱の中で生き残り、室町時代にかけて急成長を遂げた新興武士たちがいます。
この武士たちの気質にはある共通点がありました。
それは新しいもの、流行が好き、ということ。
室町時代にかけて誕生した、新しくて流行っているものが好きな新興武士たちは各地の茶寄合で行われる闘茶や連歌、能楽などの文化を楽しんでいました。
そんな武士たちは派手・贅沢を意味するバサラ、という言葉で呼ばれます。
南北朝から室町時代にかけて動乱の中を生きた武士には、強大な力を重視し、上を目指そうとする者や、流行りの文化に目がない新しい物好きな者など、様々な武士がいたのです。
知識を求めた武士たち
南北朝の動乱が収まり、室町時代が進むにつれて、南北朝の動乱の頃とはまた違う性質をもった武士たちが誕生します。
それらの武士たちの事を一言で表すならば、文化や知識を求めた武士といえるでしょう。
応仁の乱の後、地方の武士たちは中央から避難してきた公家たちを迎え入れましたが、それは中央の文化に対する強い憧れがあったためです。
中央の文化の担い手である公家たちを迎え入れることで、自分たちにも中央の文化を取り入れようと考えたのです。
例えば関東管領上杉憲実は足利学校をつくり、禅僧、武士に対して教育を行いました。
この足利学校のように、室町時代のこの頃には地方の武士の子弟などを寺院に預けて教育を受けさせる風習があったのです。
その時に使われる教科書は『庭訓往来』や『御成敗式目』などでした。
室町時代を通して、同じ時代でありながら知識を重視したり、新しい物好きだったりなど、さまざまな特徴を持つ武士たちがいたことが分かります。
その時の時代背景によって様々な特徴を持つ武士たち。
その事を知っておくだけで、これから武士を見る目が少し変わってくるかもしれません。