現代には女性向けの様々な化粧道具が販売されています。
雑誌でも化粧の方法についての特集が組まれたりと、より美しくあろうという女性の情熱は目を見張るものがあります。
そんな女性に比べると、男性は普段から化粧をしている、という方はあまりいません。
でも、日本の歴史を振り返ると、実は昔から男性は化粧をしていたのです。
室町時代も男性が化粧をしていた時代の一つ。
室町時代の化粧について、女性と男性、それぞれ見てみましょう。
輿入れ道具にも化粧道具?
室町時代、化粧といえば今の時代のものとは随分違う化粧をしていました。
それがお歯黒、眉墨という化粧です。
歯を黒く染めるお歯黒に、眉毛をすべて抜いて墨で描く眉墨。
カラフルな化粧を施す現代とは違い、室町時代では黒を重視した化粧だったのです。
しかも、このお歯黒と眉墨はただ美しくなる目的だけではなく、上級階級のしるしとして行われていました。
この化粧は室町時代に礼法に取り入れられており、初めて行う場合には祝いの儀式をするようになっていったのです。
また、上級階級である武家の女性が輿入れする場合には嫁入り道具の中にもお歯黒道具や白粉をいれる箱などが含まれていました。
現代ではお化粧といえば大人の女性がするイメージです。
けれど、室町時代のお歯黒などの化粧はもっと若い年齢で行っていたようです。
例えば初めてお歯黒、眉墨をする年齢はそれぞれ9歳、そして15,16歳からだったと『大上臈御名之事』に記述が残っています。
男性にも化粧が広まる?
この時代、化粧をするのは女性だけではありませんでした。
実は男性も同じようにお歯黒や眉墨という化粧をしていたのです。
そもそも、男性も化粧をし始めたのは室町時代以前の事。
平安時代後期から公家の男性の中で化粧が広まっていったのがきっかけでした。
室町時代には天皇や公家の男性は元服時にお歯黒、眉墨をしましたが、それが武家にも広まっていきました。
例えば将軍も室町時代には元服前にはお歯黒をしていたようです。
男性の化粧は何のため?
室町時代、男性が化粧をするという事は高い身分や権力を持っているという事を示すものでした。
それは最初に化粧をしていた天皇や公家はもちろん、武家も高い身分の将軍などが化粧を取り入れ始めたことからもうかがえます。
室町時代の八代将軍である足利義政の子、足利義尚も元服する前にお歯黒をつけたという記述が『蜷川親元日記』にあるのです。
しかし、男性が化粧をすることは、場所によっては権力や高い身分を示すという事以外で必要とされていました。
例えば、薩摩の島津忠良のもとでは化粧は身だしなみとして武士に必要とされていたようです。
身分を示す以外にも身だしなみに必要とされていたり、礼法に取り入れられていたり。
男性が化粧をしていたのは、実はずっと昔からだったのです。