現代では日本に居ながらにして、レストランなどで世界中の食事が食べられる時代です。
それだけではなく、ちょっとインターネットで作り方を調べれば、自分たちで世界各地の料理を作って味わうこともできます。
けれど、食べ物に関しては室町時代も負けてはいません。
試行錯誤の上、今でもおなじみのあの食べ物などが生まれた時代なのです。
甘党大喜びの時代、到来?
室町時代にはさまざまな食べ物が生まれました。
なかでも、甘いおやつの様なものも充実し、甘党に大歓迎されるような時代だったのです。
その中には、今でもみんなが知っているほど一般的なあの食べ物も・・・。
たとえば、ういろう、ところてん、わらびもち。
現代に生きる私達にとっても名前を知っているだけではなく、一度は口にした事のある食べ物ではないでしょうか。
では、なぜ室町時代にこんなにたくさんの甘いものが生まれてきたのでしょうか。
甘いものが生まれたのは○○のおかげ?
室町時代になってなぜそれほどまでに甘いお菓子などの存在感が増した理由は知っていますか?
理由は様々あるけれど、そのうちの一つが茶の湯の習慣の広まりです。
室町時代にはお茶の間、つまり喫茶の文化が広まりました。
このお茶を飲む、喫茶という文化、実は中国から僧が持って帰ってきたものでした。
そして同じく中国で朝ごはんなどの決まった時間以外に軽い食事をとる点心という文化も伝わりました。
この点心と喫茶の習慣こそ、室町時代に現代にもつながる伝統的な食べ物の基礎が出来あがった原因だったのです。
なんと、今ではメジャーなお饅頭もこの時代から伝わってきた食べ物なのです。
お菓子以外にもこんなにたくさん!
今まで室町時代に発達していった食べ物について紹介していきましたが、実はお菓子以外の食べ物でも室町時代に基礎が築かれたというものが沢山あります。
日本の伝統的な食事、といわれて豆腐の味噌汁を思い浮かべる方も多いと思います。
しかしその豆腐、そして味噌汁という食べ物が室町時代に縁が深い物だとはしらない方が多いのではないでしょうか。
調味料のひとつである味噌は室町時代以前よりありましたが、味噌汁という食べ方が広まるのは室町時代なのです。
それまでも食べられてはいたようですが、味噌の原料になる大豆の生産量が増えた事、それにより庶民が自分たちの家庭でも味噌を作るようになった事が味噌汁が庶民の間で広まっていったわけのようです。
日本の暮らしにしっかり根付き、現代でも日常的に食べられている食べ物たち。
それらが広く伝わっていく背景には農作物の生産力向上や外国からの文化の取り入れなど、多くの要因があったのです。