日本の歴史の中で天皇といえば、絶対的な支配権を持っていたものでした。
天皇が何か命令を下せば、必ずそれをこなさなければならない、支配者の頂点にいたのです。
けれど、室町時代では今までのそんな立ち位置に変化があった時代です。
どんなことがあり、どんな風に変わったのでしょうか。
室町時代は天皇はどこにいた?
室町時代では、政治を行っていたのは将軍であり、建武式目を制定した足利尊氏でした。
ではその頃、それまで貴族の頂点にいた天皇はどこにいたのでしょう。
実はその頃、かつて鎌倉幕府打倒を訴え、鎌倉幕府を倒した後は建武政権を作った後醍醐天皇は吉野にいました。
室町時代には政治の中心を追われ、京都ではなく吉野にいた語醍醐天皇はしかし、まだ政治の中心に戻る事をあきらめていませんでした。
自らの正当性を訴え、足利尊氏と室町幕府に抵抗を続けていたのです。
その目標はもう一度自らが政治の中心に立つこと。
室町時代は足利尊氏のいる京都の北朝と呼ばれる勢力と後醍醐天皇を中心とする南朝と呼ばれる勢力が同時に成り立っているという珍しい事態が起こっていたのです。
足利義満、貴族たちを凌駕する?
南朝と北朝が同時に成り立っている室町時代、その将軍が足利義満の頃、天皇や貴族、そして武士たちの立場に変化が起こってきました。
室町時代の三代将軍足利義満が貴族社会の中で出世していったのです。
武士の頂点に立ち、政治を行っていた足利義満はまた、貴族社会の中でもどんどんえらい立場になっていきました。
例えば、それは准三后の宣下をうけたことでもわかります。
准三后の意味は、臣下という立場にいるにも関わらず、皇族と同じ待遇を受けるというもの。
足利義満はついに貴族の頂点にも上り詰めていったのです。
武士としても、貴族としても頂点にたった足利義満は次に、天皇の特権に目をつけました。
その頃、天皇だけの権利とされていた祭祀権と課税権を自らが行使するようになったのです。
武士である足利義満が貴族を凌駕し、天皇の存在すら乗り越えはじめたのです。
天皇の立場が揺らぐ時代
室町時代までの時代は、公家(貴族)に武士が従う、という立場でした。
公家が一番、という立場だったのです。
しかし、北朝と南朝にわかれ、成り立っている状態の中で、分裂した天皇家の正統性があやふやになっていったため、天皇の権威はどんどん低下していきました。
そんな情勢の中で室町時代の三代将軍、足利義満は武士でありながら貴族社会の中でも出世し、貴族として、また武士としても頂点に上り詰めていったのです。
この事から、それまでの公家に従う武士、という立場が崩れ、逆に武士が公家を凌駕するようになっていきました。
そしてついには、絶対の立場にあった天皇の存在すら、乗り越えつつあった時代、それが室町時代なのです。