やっぱり気にする?室町時代の石高

石高、という言葉は現代ではほとんど使われる事はありません。

けれど、なんとなく聞いた事があるな、という方は多いと思います。

学生時代の歴史の授業で、またはテレビドラマの中で使われていたりして、意外に耳にする事がある石高という言葉。

でも、それゆえにどんな意味かといわれると曖昧にしか答えられない方が多いはず。

室町時代を始めとして色んな時代で使われていた石高。

せっかくなので、そんな石高についてちょっと詳しくなりましょう。

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石高って、なんだ?

そもそも石高とは、室町時代を含む中世の末期から近世の終わりごろに使われた石という単位のこと。

何に使われていた単位なのかというと、土地の生産性を測るのに使われた単位なのです。

でも、土地の生産性といわれても、やっぱり難しくて、いまいちピンとこないものです。

なので、言い換えましょう。

土地の生産性=その土地のお米の生産力なのです。

日本人にとって大事なお米。

そのお米がその土地でどれだけとれるかを表した石という単位の事なのです。

ちなみに、お米以外の農産物、例えば海産物がどれだけとれるか、という事もお米の生産力の一つとして石という単位で表していたそうです。

石高はどんなところに使われる?

さて、石高というものは一石、二石、というように数える石という単位の事でした。

一石は大体おとな一人が一年間に食べるお米の量を表しています。

でも、その石高、どんなことに使われていたのか、わかりますか?

よく知られている石高の使い方として、領地の大きさを表す使い方があります。

その土地の勢力や領地の大きさを示す指標として、そしてその土地を預かっている人物がどれだけ力を持っているかという目安にもなっていました。

そしてもうひとつ。

農民に課せられていた年貢も石高をもとにして徴収されていたのです。

農民にとって年貢は軽ければ軽いほどいいもの。

けれど、その年貢の量を左右するはずの石高について、江戸時代以前の室町時代では、農民たちはあまり個人の石高に関心がなかったといわれています。

それもそのはず、年貢が徴収される基準というものは個人ではなく、村単位の石高である村高といわれるものだったからです。

個人の年貢の徴収基準として石高が用いられるようになるのは室町時代以後だったのです。

石高=兵力?その理由

室町時代など、昔の日本では石高はとても重要なものでした。

その理由は、先ほど述べたその土地の勢力やどれだけ力を持っているか、という事はもちろん、石高でどれだけの兵力を持っているか推し量る事が出来たからでもあります。

お米というと、兵士に分け与える報酬としても使われていました。

そのため、あまりお米がとれない土地では、あまり兵士を雇えません。

逆に、お米がとれる土地ではそのとれるお米の量に合わせて、多くの兵士を雇う事が出来るため、石高=兵力という図式が成り立つのです。

室町時代を始め、どんな時代でも気になる石高。

兵力や領地の大きさ、そして課される年貢を決める基準など、色々な事に使われていたのです。

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