室町時代、現在の沖縄県は琉球王国と呼ばれていた国でした。
琉球王国、つまり琉球は日本とは別に広範囲にわたって様々な国と海外貿易を行い、貿易をするうえで様々な国から重要視される立場を確立していました。
室町時代、海外貿易で繁栄していた琉球の行った貿易は、琉球ならではの貿易の方法をとっていました。
室町時代の琉球は、海外貿易をどんなふうに行っていたのでしょう。
琉球の行動範囲はこんなに広い!
1429年に尚巴志が三山を統一し、作り上げた琉球王国は、海外貿易に力を入れ、様々な国を貿易相手とする海洋国家として名を馳せました。
当たり前のことですが、貿易を行うには、貿易をするための相手の国がいなければいけません。
琉球は沢山の国を貿易相手としていましたが、その行動範囲には目を見張るものがありました。
当時琉球が貿易をしていた国の一例をあげるだけでも、南方のジャワ島、スマトラ島、インドシナ半島など、東南アジア各地の国々にまで手をのばしていたのです。
また、中国、日本とも貿易を行っていたため、様々な国と貿易を行っていた琉球王国の首都の港、那覇は国際港として繁栄していました。
室町時代の琉球は、様々な国にとってなくてはならない貿易国としての地位を確立していたのです。
明との貿易も行っていた琉球
室町時代の頃、東南アジア諸国間の貿易で活躍していた琉球ですが、お隣の国、明との貿易も独自に行っていました。
当時の明は日本とも朝貢貿易を行っていましたが、琉球も明と朝貢貿易を行っていたのです。
琉球王国は、明に独自に朝貢し、冊封を受けたことで明との貿易を始めていました。
琉球から定期的に明に新貢船をおくり、交易をしていたのです。
琉球から明には香料や染料などの品物を送り、他の国には陶磁器や刀剣などの品物を送っていました。
そのように、当時琉球が中国や日本、東南アジア諸国との間に行った貿易を琉球貿易といいます。
琉球とった貿易の仕方とは?
琉球が様々な国相手に行っていた貿易の事を琉球貿易といいますが、当時琉球が行っていた貿易の仕方は、琉球貿易とはまた別の呼び方をされることもありました。
それが中継貿易、という呼び方のこと。
そしてこの中継貿易こそ室町時代の琉球が行っていた、貿易での最大の特徴です。
中継貿易とは、とある国から輸入した貨物をそのままの形で、あるいは保税地域で加工、製造して再輸出するという形をとる貿易の事です。
そして保税地域とは、外国から輸出する貨物に関税やその他の税金を少しの間課税せずに置いておける場所の事。
この中継貿易こそ、室町時代に琉球が行っていた海外貿易の最大の特徴だったのです。