時代に合わせて変わっていくものは沢山ありますが、そのなかでも、いつの時代も身近にあって興味、関心を持つ人が多いテーマといえば、間違いなく「食」が上位に来ると思います。
そんな食、または料理について、どんなふうに移り変わってきたか、室町時代と江戸時代との違いについて見てみましょう。
増える屋台、ターゲットは独身男性!
江戸時代は室町時代に比べて、外食産業、つまり屋台の数が一気に増えたという違いがある時代でした。
今でいうファーストフードである屋台で出される料理の種類は、天ぷら、すし、そばなど、実に様々。
室町時代にこれほど食べ物の屋台が増えた理由として、交通の便が良くなり、色々な食べ物が手に入りやすくなったという理由もあると思います。
しかし、別の理由として、一説には「江戸には独身男性が多かったから」という説もあります。
江戸時代、それまでとの違いとして、地方から職人見習い、丁稚、下男などの仕事を探しに江戸にでてくる若者が増えました。
また、江戸詰の武士は国に妻子を残してきていました。
つまり、江戸には独身男性と、妻子はいるものの、現代でいう単身赴任状態の男性が多かったのです。
そこで問題になってくるのが食事。
食事を作ってくれる配偶者がいない男性にとって、手軽にお腹を満たしてくれる屋台はとてもありがたいもので、だから屋台が増えたのだ、という理由です。
海外のタイでも屋台が数多くあるのは、女性が外に働きに出る事が多く、食事を作る時間も働くから、という説があります。
面白い事に、どことなく江戸時代の屋台の発達の歴史との共通点が見えるようです。
人気のそば、室町時代はすすれない?
さて、江戸時代にはそんな風に身近に利用されていた屋台ですが、その中でも蕎麦の変化を見ていきましょう。
もともと、蕎麦自体は江戸時代以前からありましたが、室町時代と江戸時代では、大きな違いがあるんです。
室町時代と江戸時代の蕎麦の違い、まずはその普及具合です。
実は江戸時代に入って、蕎麦を食べさせる屋台は一気に数を増やしました。
それもそのはず。
そもそも麺類の原料となる麦などを本格的に栽培するようになったのは室町時代になってからだったのです。
そこで農村にそば粉や小麦粉を作るのには欠かせない臼が広まり、普及していった、という理由があったのです。
そしてなんといっても大きな違いがあるのは蕎麦の外見。
現代では、蕎麦といえば細長くて、すすって食べる形を思い浮かべますが、実はその形になったのは江戸時代の半ばごろ。
室町時代には、蕎麦と言えば今でいう蕎麦がきのように、すする事の出来ない形の蕎麦が一般的だったのです。
めまぐるしい変化には理由がある
室町時代から江戸時代に向けて、どんどん変わっていく料理、そして食。
それらには一見表からは見えない理由がそれぞれあります。
なぜこうなったんだろう、という興味が沸いたら是非ちょっと探ってみてください。
実はその後ろには、思いがけなかった理由があるかもしれません。