派手に目立つような時代ではないけれど、今の日本につながるさまざまな文化が発展していた室町時代。
では、同じ室町時代の頃、今の沖縄である琉球はどういった出来事が起こっていたのでしょうか。
三つ巴を制したのは?
日本が室町時代を迎えていたころ、今の沖縄である琉球には大きな出来事が起こっていました。
今の沖縄が琉球王国として名を刻むことになるのは、まさに室町時代真っただ中の事。
それ以前には、北山、中山、南山という三つの大きな地方勢力がお互いにしのぎを削っていました。
この三つの大きな勢力を三山といいますが、その三山をついに統一した人物が現れます。
それが中山王である尚巴志です。
この尚巴志が三山を統一し、作り上げたものこそ琉球王国なのです。
三山が統一され、琉球として知られるようになるのは1429年の事。
日本では室町時代の足利義教が将軍を務めていたころでした。
京都が手に入れた昆布、鮭・・・輸入先は沖縄?
ついに三山が統一され、琉球として名を刻むことになった琉球王国は明や日本と国交を結び、海外貿易をさかんに行いはじめました。
その範囲はなんとジャワ島、スマトラ島、インドシナ半島付近にまで及びます。
こうして海外貿易を手広く行い、琉球は東南アジア諸国間の中継貿易に活躍していくことになるのです。
特に王国の首都、首里の港である那覇は国際港として活躍の場を広げ、琉球は繁栄していきました。
そんな琉球は、室町時代の日本とも深いつながりを持っていました。
畿内と津軽の十三港を結ぶ日本海交易を行っていた琉球は、そこで得た鮭、昆布などを室町時代の京都へ運びました。
そのようにもたらされた昆布などの海の幸は、料理の文化が大きく発展した室町時代において、とても大きな存在感を持つことになるのです。
特に昆布は現代でもさまざまな日本料理に使われるだしなど、使い道はさまざま。
琉球を通してもたらされた海の幸は室町時代以降の日本にも大きな変化をもたらしていったのです。
首里城でわかる当時の琉球の姿
海外との貿易において、那覇が国際港になるなど、存在感を増し、栄えていった琉球。
そんな豊かな琉球の姿が首里城を見ていくことでもわかります。
首里城は当時琉球王国の王宮として栄えていました。その首里城正殿にある鐘には文章が書かれており、その文章は中継貿易で繁栄していた当時の琉球王国の姿を伝える文章になっています。
また、王宮として栄えていた首里城を見ると、日本や他の国の建築様式を取り入れ、建てられた部分を見つけることができます。
このように首里城を見るだけでも国際性が豊かで繁栄していた琉球王国の姿を思い浮かべることができるのです。