室町時代の中心にいて、直接時代を動かしていた将軍といえば足利家です。
室町時代は足利尊氏から始まって、足利義昭で幕を下ろします。
常に室町時代の中心にいた足利家には、どんな人物がいたのでしょうか。
室町時代を作った足利家の人物
まず、室町幕府を語るときに外せない足利家の人物といえば、足利尊氏でしょう。
足利尊氏は室町幕府を作り上げ、足利将軍の祖といわれている人物です。
室町時代のひとつ前、鎌倉時代の鎌倉幕府を倒した中心人物の一人で、その頃の軍記物語である「梅松論」には足利尊氏が政権をとるまでの話が足利家側を肯定する立場で書かれています。
この梅松論の中には夢窓疎石から見た足利尊氏という人物の姿について書かれています。
また、鎌倉幕府を倒した人物、というと戦いに明け暮れているようなイメージを持ってしまいますが、実は文化人でもあり、特に連歌が上手で歌集にも歌が載るほどの腕前でした。
室町時代を最も安定させた男
室町時代を作った人物が足利尊氏であれば、その室町時代を最も安定させた人物が足利尊氏の孫の足利義満でしょう。
足利義満は南北朝の混乱を治め、内乱に終止符を打った人物です。
そして朝廷が持っていた権限を幕府の管轄下に置くことに成功、室町幕府のかたちをはっきりさせました。
室町幕府の室町、という言葉は足利義満が京の室町というところにあった邸宅で政治を行ったことからつけられたものです。
この足利義満は他にも歴史に残ることを行っていますが、そのうちの一つが明との貿易を始めた事でしょう。
当時国交を持っていなかった明と国交を開き、朝貢貿易という特殊な貿易のかたちであるがゆえに反対も多かった明との貿易を行っています。
また、文化の面でも歌会を開いて連歌をさらに普及させたり、金閣を建てたりと様々な事を行った人物でもあります。
そんな文化の面の中でも、能楽を普及させた事は有名です。
能楽の世界で有名な世阿弥、観阿弥の親子を気に入り、保護したり、日常的に能を観劇していた事が史料に残っているのです。
それにより、更に武士などの上流階級に能楽が普及していったのです。
足利家の跡継ぎはだれだ?戦がはじまる
そんな足利家の跡継ぎ問題は当時のさまざまな問題も絡んで大きな戦いを引き起こしました。
それが有名な応仁の乱です。
これは当時の将軍の弟と将軍の息子のどちらが足利家の跡継ぎになるか、というもめごとが中心になって引き起こされた戦いであり、日本史上でも有名な戦いの一つなのでよく知っている方も多いと思います。
このようにさまざまな出来事を引き起こした足利家が作り上げていた室町時代は、1573年に当時の将軍足利義昭が織田信長に京都から追放されるまで続くのです。