今と比べて室町時代の治安について

世界の中で日本は比較的治安が良く、生活しやすい国だとよくいわれています。

しかし、犯罪が全くないというわけではないのは誰もが承知の事実。

治安がよい地域、場所をつくる為にはそこに住む人々の努力が欠かせません。

そこに住む住民が治安を守る為に努力するのは室町時代も同じでした。

では、どういう方法で治安を守っていたのか、農民の場合を調べてみましょう。

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危険で物騒?室町時代

室町時代の治安は、決して良いとはいえない状態でした。

経済が発達し、商品などを運ぶために交通事情も次第に整っていったのですが、都市で売る為の商品を運ぶ旅も危険が潜むものだったようです。

なかでも身近にあった危険は山賊。

山道などを歩いていると襲われる事もたびたびあったようです。

交通状況の発達で山賊の被害が増えたように、室町時代はなかなか犯罪が身近に潜む、危険な時代でもありました。

自分たちを守れ!一致団結する農民

そんな時代にも、治安を維持するための組織が作られていました。

有名なものでは、侍所、という役職があります。

ただ、治安を維持するために自分たちで具体的な行動をおこした者がいます。

それが、農民たちでした。

この時代、農業生産力が高まった農民たちは、自分たちの自立のため、惣村とよばれる自治組織を作りました。

その惣村では、警察権、裁判権を使って自分たちで犯罪を裁く自検断(地下検断)と呼ばれるものがありました。

それにより、村の中で起こった犯罪などを裁いていたのです。

犯罪の中でも殺人、放火など、一体となった農民たちの結びつきを揺るがすような犯罪に対しては、死刑とされる事も多かったようです。

室町時代には、農民たちの絆を守る事、そして村の秩序を保つ事が一番大切なこととされていたのです。

見返りに武力を提供?農民たちの決断

村の治安を維持するために、室町時代の惣、惣村はとても大切な役割を果たしていました。

自治権をもつことで、農民たちの絆、結束を固め、起こった犯罪には自らの持つ警察権、裁判権を使って裁くことで、治安は維持されていました。

そんな惣村を守る為に尽力した人物がいます。

それが当時琵琶湖の北岸にあった菅浦惣のひとりである、清九郎。

惣村には、乙名といわれる運営の中心となる名主層がいる事がありますが、清九郎はその乙名の一人でした。

当時菅浦惣にはたびたび争っていた大浦荘というところがありましたが、清九郎はそこと契約を結ぶ事に成功しました。

その契約の内容は、惣が武力を提供する代わりに年貢を半分に減らし、惣が年貢を納める事を担当するという内容でした。

要は、惣を維持するために武力を提供、保持し、支配層の介入を排除したのです。

このように室町時代の治安がどうだったのか調べていくと、治安を維持するために秩序、住民同士の絆を重視していた事、そして武力に頼って自治権を維持していた事が伺えます。

室町時代、治安を守るためには、いざとなれば武力行使も辞さないという強い決意を持っていたのです。

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