室町時代の頃、金融業者がそれまでの時代に比べて増え、業界全体が活発になりました。
金融業者が活発になった背景には、室町時代の貨幣経済の発達があります。
貨幣を取り巻く状況が大きく変わっていく室町時代において、金融業者の中には、他の職業と兼業で働いていた人々も多くいました。
金融業と他の職業を兼業していた人々はどんな人々だったのでしょう。
今の高利貸し業、室町時代の言葉に言い換えると?
鎌倉時代に発生した後、室町時代になり、時代の波に乗ってその数を増やしてきた高利貸し。
実は、現在では高利貸し業と呼ばれる金融業者は、室町時代には違う呼び方をされていました。
今でいう高利貸し業者を指す室町時代の言葉は、土倉、というもの。
金融業者とは全く関連のない言葉のように思えるこの呼び方は、質物の保管をする為の土蔵が由来となっています。
金融業をしていた人が兼ねていた仕事は?
室町時代の高利貸し、土倉の中にはそれだけを仕事としているのではなく、他の職業もこなす兼業という働き方をしている人々が少なくありませんでした。
けれど、金融業者として働く他に別の職業を持っている人々の多くには、ある共通点がありました。
それが、富裕な商工業者であるということ。
室町時代に金融業を兼ねて働いていた職業は、酒屋であったり、名主、問丸と呼ばれる業者の人が多く、一般に豊かだといわれる商工業者が多かったのです。
酒屋はその通り、お酒を販売する業者ですが、問丸、名主とはどんなものかわかるでしょうか。
名主というのは国司が治める土地や荘園にあった名田と呼ばれる一種の私有地の所有者の事。
そして問丸というものは鎌倉時代、室町時代に港など交通の要地に住んで物質の運送、保管に販売を請け負った業者の事です。
巨額の資本が必要となる土倉をするのに、先に挙げた酒屋や名主、問丸など、比較的富裕な商工業者がその職業を担っていたのが室町時代だったのです。
土倉はつらいよ?
室町時代の高利貸し、土倉という職業は酒屋や名主、そして問丸など、比較的裕福な商工業者が兼ねていました。
酒屋でも本来の仕事であるお酒の販売で設け、更に土倉で利益を得ることができる図式です。
けれど、そんなにうまくいくものではありません。
土倉には室町時代頃、大きく悩まされた問題がありました。
当時の室町時代には農民の団結力が強くなり、土一揆をおこすことも増えていきました。
その中で、農民たちの起こした土一揆の目的地点とされたなかには、土倉が多く含まれていたのです。
農民たちが起こした土一揆の目的となった土倉は、普段から土倉をよく思っていない農民たち自身の手によって打ち倒されるといったことも多くあったようです。
他の職業と兼業という形で行われることが多く、順調に利益を得ているように見える土倉にも、さまざまな悩みがあったのです。