フランシスコ・ザビエルという名前は日本史上では有名です。
日本史を学ぶ上で、ザビエルが日本にやってきたことは室町時代の頃に起こった出来事として必ず教科書にも載っているので、知っている人も多いのではないでしょうか。
でも、名前と何をした人なのかを知っていても、日本でどんな事をしたのか具体的に知っている人はそれほど多くありません。
ここでは日本でフランシスコ・ザビエルが何をして、どんな人に囲まれていたのかを紹介していきます。
日本に来たきっかけは日本人?
フランシスコ・ザビエルというと知らない人はいないほどの有名人です。
言わずと知れたキリスト教のイエズス会(耶蘇会)の宣教師であり、キリスト教の日本布教を志して室町時代に日本にやってきた人です。
室町時代の1549年に鹿児島にやってきて日本にキリスト教を広め始め、1551年に日本を去っています。
実はそのザビエルが日本に来たきっかけは1547年、マラッカで一人の日本人に出会った事でした。
そのことが縁となって日本にやってくる事を決めたザビエルは日本各地を回り、キリスト教の布教に努めるのです。
また、室町時代の日本に滞在し、キリスト教の布教に努めている間、ザビエルは日本や日本人についての印象、感想を書簡に書き記しています。
それを読むと、ザビエルが室町時代の頃の日本人についてどんな印象を持ったのか、日本人に対するキリスト教の布教についてどう考えていたのかを知ることができるのです。
ザビエルを支えた日本のキリスト信者たち
日本滞在中のフランシスコ・ザビエルを手助けした中で、その中心となった日本人のキリスト教信者は何人かいます。
パウロ・ヤジロウ、ロレンソ、ベルナルド、マテオなど。
洗礼を受けたため、名前が日本人風ではないのでわかりにくいものの、今あげた名前はすべてザビエルを支えた日本人です。
中でも日本人最初のキリスト教信者として有名なのはパウロ・ヤジロウです。
実はザビエルが日本に来たきっかけこそ、ヤジロウとマラッカで出会った事でした。
殺人を犯してしまい、国外へ逃亡していたヤジロウは罪の許しを乞うためマラッカでザビエルに出会い、日本人最初のキリスト教信者となるのです。
また、ロレンソも元は日本の琵琶法師でしたが、ザビエルの日本滞在中にヤジロウと同じく通訳としてザビエルを支え、自らも説教師としてキリスト教を広めたのです。
荒れ寺を日本初のキリスト教会へ!
日本にやってきたフランシスコ・ザビエル。
ザビエルはその日本滞在中に初めてのキリスト教の教会を建てた人物でもありました。
山口県の大名、大内義隆と謁見してキリスト教の布教の許可を求めたザビエルですが、実は初めの謁見は失敗に終わっています。
ですが2回目、再び布教の許可を求めた際には無事許可を得ることが出来たばかりでなく、山口県にある荒れ寺をもらっています。
大道寺というこのお寺こそ、日本で初めてのキリスト教の教会となったお寺なのです。
海外で日本人に出会い、キリスト教布教のために日本にやってきたフランシスコ・ザビエル。
ザビエルが日本にやってきたのち、宣教師が日本を訪れるようになります。
ザビエルは日本でキリスト教布教のための礎を築きあげたのです。