室町時代に変化した武士の暮らし

武士、というといったいどんな暮らしをしていたか、想像できるでしょうか。

そもそも武士といえば、思い浮かぶのは、戦っているイメージでしょうか。

では、戦い以外の日常における武士の暮らしはどんなものだったのでしょう。

実は室町時代の日常的な武士の暮らしには、こんな変化があったのです。

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武士が文化の広がりに貢献?

室町時代、そもそも武士はどんな所で暮らしていたのでしょう。

応仁の乱以前では、例外もありますが、地方の守護は在京して暮らすのが日常的でした。

もちろん、守護だけ在京するわけではなく、家臣の一団もあわせて在京するのが普通でした。

その家臣の中に、今回注目している武士も大勢含まれていたのです。

室町時代以前の鎌倉時代には武士は地方で館を構えて暮らしていましたが、室町時代には守護とともに在京したため、京で暮らす武士が目立ちました。

その京で暮らす中で武士が暮らしに取り入れ、発達に貢献したものがあるのです。

室町時代の京ではよく知られているように、さまざまな文化が花開きました。

実はこの文化こそ、武士が発達、広がりに貢献したものなのです。

京に滞在している武士は暮らしの中でその時代のさまざまな文化に関わりました。

自宅に家人を招いて和歌を詠む会を開いたり、それだけではなく自らもそのころ流行った連歌の名手となったり。

3代将軍足利義満が能を観劇した事は有名ですが、同じようにこの室町時代、武士も能に親しみ、経済力のあるものはパトロンになるなど、武士の暮らしと文化は切り離せないものになっていたのです。

戦いだけじゃない!文化を担う武士たち

さきほど、連歌の詠み手となった武士がいるとさらっと触れました。

この室町時代、武士の暮らしのなかで能を見るなど文化を楽しむだけではなく、自らも文化の担い手になることが増えてきたのです。

特に日本の伝統の詩形の一種である「連歌」では名のある詠み手として武士の名が挙がっています。

二人以上でお互いに歌を詠みあい、つなげていく連歌は室町時代に流行った文化の一つです。

室町時代では庶民が連歌を詠む事はもちろん、武士などの間でも連歌の名人を招いて連歌を詠む会を開くなど、広く深く楽しまれました。

そんな連歌で有名な詠み手は何人かいますが、そのなかで七賢とよばれる連歌の名手がいました。

その七賢の中に武士の名前が挙がっているのです。

室町時代の武士は京に滞在する中で、その時代の文化を取り入れた暮らしを楽しんでいたのです。

文化と武士の関わりは?

武士の暮らしの中に文化をうまく取り入れた時代が室町時代でした。

その時代で武士が果たした働きは、能を観劇し、流行らせたように文化を広めることであり、連歌の名人を招いて連歌を詠む会を開いたパトロンでもあり、連歌の名手として名前が挙がっている武士がいるように、文化の担い手でもあったのです。

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