どこかで何か犯罪が起これば何処へでもたちまち駆けつけ、しかるべき対処を行う現代の警察。
現代に生きる私達にとって、誰でも知っている組織であり、警察がもしなかったら、という事を想像すらした事の無い人が大半だと思います。
しかし、学生時代に学んだ室町時代の中で警察、という言葉を聞いたことはありません。
では、その時代には警察はなかったのでしょうか。
違う名前で活躍中
室町時代には、警察、という言葉はありませんでしたが、現代の警察と同じような仕事をする役職がありました。
それが侍所、という役職です。
しかし、侍所だけでは行きとどかず、なかなか秩序を保てない場所もありました。
そんな場所、地域ではまた別の名前で警察、侍所と同じように秩序を保つための役割がありました。
一つ、その具体例を紹介します。
室町時代には、農民自らが自治組織を作るようになりました。
それを、惣、惣村といいます。
その惣、惣村では侍所と同じように、現在の警察と同じような働きをする役割がありました。
その惣村の一つに、琵琶湖周辺にあった菅浦惣というところがあります。
その菅浦惣では、軍事、警察役を担う者として、若衆といわれる者たちがいました。
この若衆で村の中で起こった犯罪に対処していたのです。
侍所はどんな立ち位置?
さて、話を侍所の事に戻します。
この侍所は、室町幕府の政務を統轄し、将軍の補佐をする管領の下に置かれた役職で、政所、問注所など同列に設置されていました。
管領には足利一門の斯波・細川・畠山の3氏が交代で任じられたので、三管領と呼ばれます。
同じように侍所の長官である所司は管領に次ぐ要職とされており、こちらも山名・一色・赤松・京極4氏から交代で任じられていたので、これを四職といいます。
これらの三管領、四職は室町幕府の運営を担う組織の中心だったのです。
室町時代の侍所、特に所司といわれる役職は、なかなかの力をもつ立ち位置にあったのです。
仕事は幅広く?
室町時代の侍所の仕事内容は、現代の警察に比べても幅広いものでした。
侍所は基本の仕事内容として京都の内外の整備や刑事訴訟を行っていました。
でも、仕事はそれだけではありません。
特に侍所の長官である所司は山城国の守護職も兼任しており、ただ警察権、裁判権を持っているだけではありませんでした。
だからこそ、要職とされ、所司には山名・一色・赤松・京極の4氏が就いていたのです。
現代での警察に当たる組織は名前こそ今と違うものの、同じように秩序を守る為の組織として室町時代には存在していて、更に大事とされる仕事であったのです。