現代の日本では、今までにないものが流行ったり、廃れていったりしています。
そういった流れは歴史の中で繰り返されてきたものですが、現代ではそのスピードが格段に速くなっているようです。
これから先の未来では、今流行っているものの何が残っているのか、消えているのか誰も知ることはできません。
では、今の日本で伝統文化といわれているものは一体どれだけ長い時の中を、どのように伝えられてきたのでしょうか。
色々な段階を経て、能が大成した時代
室町時代は能が大成した時代です。
能といえば、誰もが知っている日本の伝統文化の一つでしょう。
現代でも全国各地で能は行われ、日本特有の文化で、広く知られている事を否定する人はいません。
でも、最初から能という名前で演じられていたわけではありませんでした。
能のもととなったものは猿楽といって、滑稽なものまねや軽口などが楽しめるものでした。
それが時を経て変わっていく中で、観阿弥、世阿弥というとても有名で才能のあった親子がさらに芸術性の高いものに仕上げたのです。
特に観阿弥の能は室町時代の将軍のお気に入りになり、たびたび将軍が能を観劇していた事を示す文書があるほどです。
室町時代の将軍の庇護があったからこそ能は一層芸術性に磨きをかけ発展し、将軍がお気に入りという事で上流階級や武士たちの中でも能を見に行く事が流行っていったのが室町時代なのです。
茶の湯も広まり始めた時代
室町時代では同じく茶の湯の文化も広まっていきました。
このお茶の文化は僧が中国から持ち込んだ文化でした。
最初は僧の間で伝わっていった茶、そして茶の湯でしたが、そこから将軍を始めとして上流階級の貴族や武士の中でも広まっていくのです。
そうやって現代まで続いている文化の一つである茶の湯。
茶の湯というと、なんとなく静かで、わびさびを大事にするようなイメージを抱きます。
けれど、室町時代のころでは全く違うイメージの茶の湯が行われていたのです。
最初、茶の湯は僧から武士、貴族階級へと広がっていきましたが、実はこの時、今のイメージとは違う、豪華でにぎやかなものでした。
そこから室町時代の将軍など、さまざまな人たちにより、現代の静かで、わびさびがあるイメージの茶の湯が現代まで続いてきたのです。
現代人にも有名!よみがえった文化
ずっと昔から伝えられてきた伝統文化。
しかし、時には一度途切れてしまったものを復活させ、現代まで受け継がれている文化もあります。
その一つが祇園祭。
災いを払うため行われていた祇園祭は、応仁の乱で一度途絶えてしまいました。
しかし、京の町が復興し、町衆の手によって一度途絶えた祇園祭を復活させ、今の祇園祭のかたちへと続いているのです。
いつの時代であっても文化の担い手は一人一人の個人です。
未来へ受け継がれていくように一人一人が気にかけ、その努力の上に現代まで続く文化があるのです。