室町時代の食事の回数!えっ増えた?

現代の日本では例外はあるものの、基本的に一日の食事の回数は朝、昼、晩の三回とされています。

ところが、この食事の回数が一般的ではなかった時代がありました。

たとえば室町時代では、それまでの時代とは食事の回数が変わった時代であったようです。

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一日三食の先駆けは僧侶だった?

室町時代には、一日三食という現代の考え方は通用しませんでした。

しかし、室町時代の少し前の鎌倉時代頃から、少し変化があったようです。

まず最初に食事の回数に変化があったのは僧侶たち。

節制のイメージが強い僧侶ですが、時代の中で一番に一日三食をとるようになったのは意外にも僧侶たちだったのです。

僧侶の影響が広がる!

鎌倉時代に僧侶が一日三食食べるようになったものの、武士や公卿はまだ一日三食の習慣はありませんでした。

武士が食べる回数は朝と昼の二回だったようです。

しかし、食事の量は三食分だったようで、しっかり食べていたようです。

ただ、武士は戦場に出て戦ってこなければなりません。

どうしても一日二食では足りないほど激しく動くことがあったと推測されます。

さて、どうしたものか、そう考えている時に僧侶たちの一日三食という考え方が影響してくるのです。

その結果、戦場で激しく動く時には三食食べるという形に落ち着いていきました。

ただ、室町時代は応仁の乱など、世の中が混乱していた時代であり、戦が続いていったので、だんだんと一日三食が慣習になっていきました。

その結果、武士でも一日の食事の回数は三回になっていったのです。

まずは僧侶、そしてその影響をうけ武士が一日三食になりました。

そして次はその武士たちの影響を受けて、京都にいた公卿達が一日三食とるようになっていくのです。

こうして、僧侶、武士、公卿という流れで影響は広がっていき、ついには庶民以外では一日三食が一般的になり、食事の回数が今までより増えていったのです。

増えた昼の食事、三つの種類に分けられる?

こうして食事の回数は増え、昼にも食事をとるようになりました。

この昼食は中間食といわれ、大きく三つにわけて考える事が出来ます。

まず中間食のうち、軽い空腹を満たすためのものは点心と呼ばれていました。

そしてお茶請けと同じく、食事内容よりお茶を飲む事を中心に据えたものが茶子。

そして最後にデザートの位置である水菓子。

こうしてみると、思ったよりもしっかり食事をとっていることがわかります。

その秘訣は室町時代という時代にありました。

この時代は農産物の生産量が増え、その流通ルートも広がっていった時代でした。

その時代背景があってこそ、食事の回数が増え、現代まで続く一日三食の考え方、慣習が根付いていったのです。

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